息子が人生初の「将来の夢」を語りました。
バスの運転手さんだそうな。
さすが車好きの男の子!
ですが、大人の社会を知っているパパとしては、最近バスの運転手さんの業界は大変そうだな〜なんて夢も希望もないことを考えてしまったり。
そんなパパの「将来の夢」なのですが、高校時代は「メガネとエプロンの似合うパパ」だったんですな。
メガネというのは、高校時代急激に視力が落ち始めたこと(絵とゲームの影響と自己分析)、それからエプロンというのは当時紅茶が大好きで、つまりカフェマスターとかバリスタみたいなイメージというわけですな。
「なんてメルヘンな…」なんて思われるかもしれないんですが、ぼくは高校時代「将来就きたい仕事」というヤツが完璧なまでになくて、だからそんなことをのたまわっていたのでした。
とんでもない面倒なヤツだ。
でも、最近になって「この考えは一面では結構理にかなってるかもしれん。」とか思ったりし始めております。
そもそも、「将来の夢」と「将来就きたい仕事」というのを一緒くたにするのはどうなんだろう?自戒の念も込めて、結構日本て一緒くたに語られることがおおいと思うんですよね、この2つ。
でも、実際ちがうじゃないですか。
「将来の夢」が職業だったらおおむね人生の前半戦、つまり最終学歴卒業の時点で将来の夢が叶ったか叶わなかったか判決がくだされてしまうんですよ。
仕事は人生の一部ですが、人生が仕事とイコールになってしまってはこれからの時代はつまらないんではなかろうか。人生と仕事がイコールで自己実現できるのは、本当に選ばれた一部のエリートだけのように思うんです。
というわけで、仕事が絡んでも良いし、仕事と無関係でも良いし、一生かけて追い続けられて、一生かけて叶えられるような大きな将来の夢も持って欲しいなあ〜なんておもっております。
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